東京地方裁判所 平成2年(ワ)4286号 判決 1993年1月22日
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
第一 請求
1 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明け渡せ。
2 被告は、原告に対し、平成二年四月一日から右建物明渡済みまで一か月一〇八万四五〇〇円の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、更新拒絶による建物賃貸借契約の終了に基づき、原告が被告に対し、本件建物の明渡しと賃貸借終了日の翌日である平成二年四月一日から明渡済みまでの賃料相当損害金の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実(一部、証拠上明らかに認定できる事実)
1 原告は、被告に対し、昭和六二年一一月ころから(被告代表者、甲二、なお、契約書上は昭和六三年四月一日。)、原告所有の本件建物を、<1>使用目的倉庫、<2>賃貸期限昭和六五年(平成二年)三月末日まで、<3>賃料一か月一〇八万四五〇〇円、毎月末日限り翌月分支払の約定で賃貸し(以下「本件賃貸借契約」という。)、これを引き渡した。
2 原告は、被告に対し、平成元年九月二六日到達の内容証明郵便をもつて、平成二年三月三一日限り本件賃貸借契約の更新を拒絶する旨の通知をした。
二 争点
右更新拒絶に正当事由が存するか否か。
1 原告の主張
(一) 被告は、本件建物を紙屑の集積場とし、古紙回収を業としているが、本件建物は都市計画法上の第二種住居専用地域にあるので、工場を設置することは法律上禁止されているところ(以上は、争いがない。)、被告は、本件建物においてフォークリフト車の運転やプレス機の運転による騒音を発し続けている。
(二) 被告は、本件建物において、近隣に紙屑等の塵芥を散らしたり、悪臭を発したりしており、さらに防火措置が不十分のため火災の恐れが多分にある。
(三) 右のような事情から、近隣の住民から再三にわたり苦情の申入れがされている(争いがない。)ので、これを排除する公益上の必要がある。
(四) 被告は、足立区の仲介により住民との話合いを重ねた(争いがない。)が、足立区の移転要請に応じながら猶予期限を過ぎても移転せず、また、足立区から機械使用禁止の行政指導等を受けながら機械使用を継続するなど誠意のない対応に終始している。
(五) 原告の祖父藤波傳が平成二年九月九日死亡したことに伴い、原告を含む相続人らは、一〇億円以上の相続税の納税義務を負担し、右納税資金を捻出するため、右藤波傳の相続財産に含まれる本件建物の敷地を更地として売却する必要がある。
2 被告の主張
(一) 原告は、被告の業務内容を知りつつ、被告に本件建物を賃貸したものである。
(二) 被告は、近隣住民とは誠意をもつて交渉し、改善策も実行している。また、抜本的な改善策を提案したが、住民から反対されて実現できなかつた。
(三) 被告は、原告から更新拒絶の通知を受ける以前から真剣に移転先を探したが、被告の事業上の制約があるため、移転可能な場所を見出せない状況にある。
(四) 仮に、被告が新たな移転先を確保し得たとしても、移転費用として一億九五〇〇万円以上及び仕入費用の増加として月額二〇〇万円以上の新たな各支出が予想されるが、現在の被告にはこれらの出捐に耐えるだけの経済的能力はない。
(五) なお、原告の主張(五)の事情は、更新拒絶の時点より後に生じた事由である。
第三 争点に対する判断
一 前記争いのない事実及び《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 被告は、本件建物を紙屑の集積場とし、古紙回収、製紙原料の加工販売を業としているが、本件建物の存する地域は都市計画法上の第二種住居専用地域であるので、工場を設置することは建築基準法上原則として禁止されているところ、被告は本件建物においてフォークリフト車の運転やプレス機の運転による騒音を発しており、また、被告による本件建物の右使用態様に伴い近隣に紙屑等の塵芥が飛散したり、古紙特有の悪臭が発したりしており、それらが近隣の住民に相当の迷惑を及ぼしている。
このため、昭和六二年一一月に被告が本件建物において営業を開始してしばらくしたころから、近隣住民は足立区に対し苦情を申し入れてきた。
2 被告は、同業者である株式会社川善から本件建物の賃借人たる地位を引き継いだものであるところ、原告は株式会社川善に対し台貫及びプレス機を含む諸設備の設置を認めていたものであり、被告は、これらの設備が設置使用できることを前提に本件建物を賃借し、被告において、本件建物に改めて台貫及びプレス機を設置した。住民とのトラブルが表面化した後に被告を正式に借主とする賃貸借契約書が作成されているが、その際、原告から住民との話合い・和解についての要求はされているものの、貸主としての立場から被告の業態や現在の使用態様に対する注文が付けられたり、右諸設備の撤去が求められたりしたことはない。
これらの事実によれば、原告は、プレス機等を使用して行う業務であることを含めて被告の業務内容を了解した上で、本件建物を賃貸したものと認めることができる。
3 近隣住民の苦情を受けて、足立区(まちづくり課)が仲介に入り、被告と住民と足立区の三者間で話合いが重ねられる中で、昭和六三年二月ころ足立区から被告に対し六か月の間に営業撤退又は移転を図るよう提案がされ、被告もこれを前向きに検討したが、移転先が確保できず、移転を果たせなかつた。そこで、足立区は、被告に対し、機械使用禁止の行政指導をし、さらに東京電力に依頼して電気供給停止を実施したりした。これに対し、被告は、改めて移転計画書を提出するなどして、移転あるいは改善措置の実施による住民との話合いの姿勢を示し、足立区の指導を撤回してもらつた。
4 右のとおり、被告は、住民からの苦情や、足立区からの立退きの要請を受けて真剣に移転先を探したが、本件建物からそう離れていないところに本件建物の敷地と同程度の広さの土地を見つけることができず、さらに、かなり広範囲にわたつて移転先を検討したが、古紙回収業を前提として使用契約を締結し得るような候補地を確保することはできなかつた。
また、被告は、防音等のために約一〇〇〇万円を費やして、本件建物の中側に二重に内壁を貼り、シャッターを付け、スレートや外壁の破損部分の補修をするなどし、さらに、抜本的な改善策として、防音・防塵のためのテントを設置したり、塀を高くしたり、機械を奥に移動したりするなどの提案をしたが、被告の提案した右防音、防塵のためのテント設置案は住民らの反対により実現されなかつた。
5 被告の本件建物からの移転には、倉庫建築費、機械購入費及び設置工事費等に約二億円近い費用がかかる上、移転によつて取引先古紙回収納入業者の多くを失うため、これを補つて取引先を確保していくために購入価格を高くする必要があり、これによつて月額約三〇〇万円の費用が増加することが予想され、さらに、本件建物の原状回復費用も約一〇〇〇万円程度見込まれるところ、被告にはこれらの負担に耐えられる状態にはない。
6 なお、《証拠略》によれば、原告を含む相続人らが一〇億九三九五万円の納税義務を負担していることを認めることができるが、右納税義務の問題は本件更新拒絶の時期より後に発生したものであり、また、仮に本件訴え提起により新たに解約申入れをしたものと善解する余地があるとしても、原告らにおいて右納税資金を捻出するため本件建物の敷地を更地として売却処分する必要は、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。
二 正当事由の存否
1 右認定事実によれば、原告は、本件賃貸借により、特段の制限を付することなく、本件建物においてプレス機等を使用する古紙回収業を営むことを承諾したものと認めざるを得ず、したがつて、本件建物の右営業上の使用に伴い通常生ずることあるべき程度の騒音、塵芥、悪臭等については、当然これを予想し得たというべきであつて、原告においてはかかる程度の迷惑はこれを甘受すべきものといわざるを得ない。また、近隣住民から苦情が出たとしても、それは、原則的には、近隣住民と賃借人たる被告との問題であり、しかも賃貸人たる原告は右営業を承諾している以上、これをもつて直ちに賃貸人・賃借人間の信頼関係を破壊する不信行為ということはできない。
もつとも、右騒音等が通常の予想を全く超える程大きく、あるいは、その後通常予想し得ない程度の騒音等を発するに至り、賃貸人自身又は近隣住民に耐え難い迷惑を及ぼすに至つた場合には、営業に対して承諾を与えていたとしても、なお信頼関係に影響を与える不信行為として、正当事由の一要素となり得るものと解するのが相当である。
2 そこで、前記認定の各事情を比較して検討するに、一方で、本件建物の存する地域では工場を設置することは法律上原則として禁止されているところ、被告は、本件建物において古紙のプレス加工等による騒音等を発して近隣住民から苦情を受けていること、足立区の仲介により住民との話合いが行われる事態に至つたこと、さらにその中で被告は足立区から移転の要請をされたことや機械使用停止の行政指導を受けたこともあることからすれば、これらは原告・被告間の信頼関係に相当程度影響を及ぼす事態と一応考えることができる。
しかし、他方、本件において近隣住民が蒙つている迷惑が現時点においてその頻度・程度等から客観的に見て真に耐え難いものであるかどうか、また、それが古紙回収業から発生するものとしては明らかに通常の予想を超えるものといえるかどうかについては、これを断ずるに足りる確たる証拠は必ずしもない上、被告においても近隣住民からの苦情に全く対応しなかつたわけではないこと、前記騒音、塵芥等の被害は、被告の提案する改善策によつて緩和することが可能であり、被告にもその改善策を実施する用意があること及び被告は移転先を確保することが困難な上、仮に移転先が見つかつたとしても本件建物から移転して営業を継続することが経済的に極めて困難であることからすれば、原告主張の前記事情は、被告の本件建物使用の必要性を超えるものとはいえない。
したがつて、被告の右経済的損失の補填等を考慮することなく原告の本件更新拒絶に正当事由を認めるには未だ足りないものというべきである。
(裁判官 川神 裕)
《当事者》
原 告 藤波克行
右訴訟代理人弁護士 岩石安弘
被 告 イー・テイ・エス株式会社
右代表者代表取締役 赤沢泰正
右訴訟代理人弁護士 加地 修
右訴訟復代理人弁護士 宗村森信